愛する人が亡くなるまでの家族の心境やそのときの様子を描写しています。C型肝炎発病-肝硬変-闘病生活-死-葬儀までの実録です。

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慢性C型肝炎とのつきあい

2006年 5月 息子の私と母と父の三人で信州安曇野へ旅行に行きました。

3人で旅行するのはひょっとしたら私が中学生以来かもしれないので、20年ぶりってことでしょうか。運転手代わりに連れて行ったというのが名目でしたが、あとになって考えると本当は私と久しぶりに旅行にでも行きたかったのかもしれません。

美術館へいったり、白馬長野オリンピックのジャンプ台へ上ったり、棚田を見にいったりと母はゆっくり休み休みでしたが、いつもと変わらず活発に動き回っていました。
私としては良い親孝行ができた旅行でしたが、結果的にこの旅行が母との最後の旅行になりました。

母も父も旅行が大好きで、父が定年になってからは毎年数回国内旅行をしていました。
そんな母は、外見的にもとても病気持ちとは思えないほど元気でしたし、趣味のコーラスや旅行にと忙しい日々をお送っていました。

母と同じ病気の方であればご承知かと思いますが、“慢性C型肝炎”(*1)とはウイルス性の肝炎で時間とともに肝炎→肝硬変→肝臓がんへと発展する恐ろしい病気です。
母は約40年前、輸血時の注射針から慢性C型肝炎に感染したと、私たちによく言っていました。
その間潜伏期間等もあってか、肝炎が発病したと思われたのがそれから約20年後、母がまだ50歳のときでした。

晩年の母は、毎日のようにかかりつけの近所のお医者さんに足を運び、インターフェロン(*2)と呼ばれる慢性ウイルス性肝炎の治療を行ってきました。実際にはその治療方法をみていませんが、看護婦さんに話しを聞くと、母の場合はかなり大きな注射2本を毎日のようにうっていたそうです。そのため母の腕は注射のあとが絶えなく、いつも青紫になっていてとてもかわいそうでした。

また年に1回から2回入院して、ラジオ波(*3)と呼ばれる最新の治療も行ってきました。
母に術後に聞くといつも『熱でがん細胞を焼いているときはとても痛かった』とそのときの様子を話してくれました。また『出産を経験していない男の人は手術室で痛くて叫んでいる人もいたよ・・・』と言っていたことを今でも忘れません。それほど痛い治療だったのでしょう。

このような痛く辛い治療にも母は、『少しでも長く生きたい!』と積極的に取り組み、“慢性C型肝炎”と辛抱強くあきらめずに闘い続けていました。

*1
慢性C型肝炎・・・日本全国に200万以上のC型肝炎ウイルス感染者がいるといわれている、国民病的な病気。昔不衛生だった頃に注射針から感染されたと指摘されている。
*2
インターフェロン・・・将来肝硬変や肝ガンへの進行を抑えるための治療方法。
*3
ラジオ波・・・おなかに針を刺して電気の熱でがん細胞を焼く方法。患者への負担も少なく実際の手術時間も短い簡易手術。 

« 序章 いつものこと »
01 序章 02 慢性C型肝炎とのつきあい
03 いつものこと 04 一度目の入院
05 退院 06 二度目の入院 - 闘病のはじまり -
07 病院からの呼び出し 08 余命宣告
09 最期の日 10 病院を出るまで
11 葬儀打ち合わせ 12 通夜
13 葬儀・初七日 14 火葬
15 葬儀後 16 49日・納骨
17 まとめ
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